岐阜城と言えば、美濃のマムシと言われた斎藤道三、斎藤道三と言えば、下克上によって戦国大名に成り上がった代表格だ。
岐阜城は、鎌倉時代初期の創建といわれている。室町時代は稲葉山城と称し、美濃守護土岐氏の家老斎藤氏の居城であったが、天文年間に斎藤道三が入城して修築し、井ノ口城とも称した。
道三の後、義龍・龍興とつづくが永禄10年(1567)に織田信長が攻略し、尾張小牧山城から本拠を移し岐阜城と称した。
天正4年(1576)信長は安土に移り、以後、信忠・信孝、池田元助・輝政、豊臣秀勝、織田秀信と続き、慶長6年(1601)廃城となった。
現在は米蔵跡・太鼓櫓跡・二ノ丸門跡の石垣が残っており、現在の 天守閣は、昭和31年の再建で、内部は郷土資料館、最上階は展望館となっている。
岐阜城の見どころは、なんといっても、その眺望だろう。岐阜城は、天守閣が金華山の頂にあり、天然の要害である長良川が山裾を流れており、岐阜市街が一望のもとに見晴らせ、まさに、天下の要害であったことを実感させられる。
麓にある信長公居館跡は、巨石を使った通路、石垣、土塁状の遺構、礎石などが、発掘調査で発見され復元されている。
また、岐阜城の西にある崇福寺も見ておきたい。信長の位牌・の他、血天井がある。この血天井は、岐阜城最後の城主、織田秀信の将兵38名が腹を切ったところの板で、霊を弔うために天井に使用したそうで、血痕が付着しているのが確認できる。
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